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2011年 02月 19日

オンリー

長い間楽譜を持っていて気になっているのに 演奏の機会がこない
そういう曲はけっこうある。
来週神戸と福山で歌うモートン・フェルドマンの「オンリー」もそうだった。
高校の合唱部の後輩から
「これいつか歌ってください」
と譜面をもらったのは、もう15年くらい前。
アカペラの、ごくごく短い作品だ。
短い、とか
音が少ない、とか
好きだなあ。最近ことに。

コンサートではこの曲に次いで、ケージの「18の春のすてきな寡婦」も歌う。
パーカッションはふたをしたピアノ。
それと、3つの音だけで作られた歌の旋律。
楽譜にはケージの手書きで
 ビブラートなしで フォークソングを歌うように
と指示されている。

この他に、前述したクルターグの「何と言うか」
加えて、去年高橋悠治さんに書いていただいた「長谷川四郎の猫の歌」
今回はピアノと歌だけのバージョンです。

この曲集を高橋悠治さんからプレゼントされたブックデザイナーの平野甲賀さんは
今発売中の「idea」という雑誌で特集されています。


*コンサートの詳細はダウランドアンドカンパ二イのHPでどうぞ←

by hatano-mutsumi | 2011-02-19 21:33 | コンサート
2011年 02月 13日

時代の音

仙台・東北学院大学でのレクチャー・コンサートシリーズ「時代の音」が
昨日無事に終了。
さわやかな緑の中の1回目、
残暑(36度以上!)の2回目、
雪景色の最終回。
杜の都の自然をしっかり味わえたシリーズだった。
スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

普段、曲の解説以外の声や身体のことを
コンサートにいらしたお客様の前で話すことはない。
このシリーズが始まる前は一体何をどう話そうかと色々考えていたが、結局は
いつも頭をめぐってることを、めぐってるようにしか話せなかった。
つまりこのブログで書いているようなことだ。
と言うほど更新してませんが。

準備してもやはり、お客様の反応によってその時々に話す方向は変わっていった。
そこが一方通行のブログとは違う。
自分にとってはごく普通の当然のことを話しているつもりの箇所で
「!!!」「???」
という空気が会場に満ちると、自然そちらを詳しく話すことになったから。

いわば“メイキング”を話す時間をともなった、珍しい演奏の場だった。

by hatano-mutsumi | 2011-02-13 23:55 | コンサート
2011年 02月 07日

何と言うか

今月末に初めて、ハンガリーの作曲家クルターグの作品を歌う。
 「何と言うか 」
失語症で歌えなくなった女性歌手のために書かれたものだ。
オリジナルの詩はサミュエル・べケットのフランス語、クルターグはそれを
歌手のためにハンガリー語に訳して作曲した。
今回のコンサートでは高橋悠治さんが日本語に訳したテクストで演奏する。
テクストの意味はフランス語に、言葉のリズムやシラブルはハンガリー語にそって。

声を生業にする者にとって
発声できなくなる、言葉が出なくなるイメージほど恐怖を感じることはない。
今まで声がでなくなった経験といえば、あの春。
風邪の初期症状がありながら何時間も歌い、その後お酒を飲んでしまった21歳の。
翌朝起きた時には、ゴジラの効果音が再現できるのどになっていた。
その日から1週間、筆談で過ごした。

そんな経験しかないものが、どうやってこの曲を演奏できるのか。
起きている間はなにかしら声のこと、息のことを考えながら生活してきたが
この曲を演奏することが決まってからさらに、
身体が言葉や音を発信するとはどういうことなのか
つきつけられることになった。

常々、人前で演奏するのは裸になることと同じと思っているけれど
この作品を演奏するのはさらに「骨になる」感がある。
一音、一音を身を削るように演奏していた、初演の歌手の焦燥と痛みが
こちらの身体をレントゲンのように透かしてしまう。

*コンサートの詳細はダウランドアンドカンパニイのHPでどうぞ←

by hatano-mutsumi | 2011-02-07 01:04 | エッセイ
2011年 02月 02日

R 指定

歌うものを自分で訳すようになってからずいぶんたつが、きっかけは
既訳で使われていた人称だった。
演奏時のイメージと違うことがよくあり、違和感を感じてしまったのが理由。
訳者とこちらの年代の違いや、曲から受けるイメージの違いからくるもの
だったのだろう。
以来、新しい曲をコンサートにのせるたび
色んなところから助けをかりながら、うんうん言って訳している。

私 僕 わたし あたし 俺
   君 あなた そなた お前

1行の歌詞にも人称が頻出するのが英語だ。
プロの翻訳家の方が「会話ではまず人称をとってから訳す」と言っていた。
日本語の会話の中では使わずにすます事が多いから。

歌詞カードの対訳をやるようになると、音楽を再現する演奏と同じく
書かれたことにどこまで忠実にか?
という問題に直面する。
日本語としてきちんと説明すればするほど、本来意味するところから遠くなる。

一番難しいのは「艶もの」だ。
ルネサンスもバロックも
歌詞の内容の色っぽさ、猥雑さはとんでもなく、「R指定」のものが多い。

今回のツアーで歌うパーセルの有名な某曲もそう。
大人すぎる。
訳すのは苦労ひとしお!

パーセルのツアーは明日からとなりました。
艶もの話を聴きに 京都・横浜までいらしてください。
大人の街だー!

by hatano-mutsumi | 2011-02-02 11:21 | エッセイ