カテゴリ:エッセイ( 53 )


2011年 05月 05日

がっつりと

先週あたまから風邪をこじらせています。

まず喉に「ん?」という、ごく小さな違和感を覚えて、
それがだんだんと、炭が熾るように赤く、広がっていく。
焼鳥屋のカウンターで眺める炭はうれしいが、この場合は辛い。
声帯の付近まで火事がじわじわと降りていく感じは、恐怖以外のなにものでもない。
脳裏に展開するのは、内視鏡で見る喉の内部。
「あ、ただいま咽頭から喉頭まで炎症が進みました!降りてます!下がってます!」


そうして見事に風邪につかまると、
鼻声になり、痰がのどにからみ、咳で声帯が揉まれる。
ふがふが、ぎょろぎょろ、げほげほ(日本語の擬音てやっぱりすごい)
こうなると本当に落ち込む。
咳がおさまり、痰がすっきりし、鼻腔の最後の炎症が抜けて、声が元にもどるまで
「役立たずなわたし」
というレッテルを自分に貼ってしまう。
高熱だけの風邪なら落ち込んだりしないのだが、大抵は喉からひくので
気持ちにダメージがくるのです。
友人の歌手も全く同じことを言っていたなあ。

風邪が通り過ぎたら、大阪と東京でコンサートです。
リュートソングからシューベルト、「アルフォンシーナと海」まで歌う
盛りだくさんの一晩。
収益の一部が寄付となるチャリティ・コンサートです。
ぜひお出かけください!

*コンサートの詳細はダウランド・アンド・カンパニイのHPでどうぞ←

by hatano-mutsumi | 2011-05-05 18:39 | エッセイ
2011年 03月 31日

2011年3月

今できることをやろう
そう思って、予定していた録音を先週終えた。
予定通りに物事が行える、というこれまでの日本ではごく普通のことが
本当にありがたく感じられた。
共演者、技術スタッフの方々が「仕事をしよう」と賛同してくれ
協力してくれたからこそ出来たことだ。

私は16日の午後をピークに、いわゆるパニックになっていたようだ。
(ようだ、と書くのはその時は自覚がなく、友人に指摘されて気づいたから)
どんな風にパニックになっていったのか、
目にした報道、様々なメールや電話、身体の状態など
振り返っているところだ。

誰かの身を案ずること、不安に陥ること
生存の安否も、放射線の安全性も
「わからない」ということがどれほど人を追い込むことか。
被災された方々と、その人たちの身を心配し、支えようとする方々に
心からのお見舞いを申し上げます。
誰かがこう言っていた。
がんばれとは自分には言えないから、かわりに、
ふんばってください。
____________________________________
*4月9日に東京文化会館大ホールでのチャリティ・コンサートに出演します
*4月16,17日神楽坂シアターイワトでの「カフカノート」は
 予定通り上演です

by hatano-mutsumi | 2011-03-31 23:53 | エッセイ
2011年 02月 07日

何と言うか

今月末に初めて、ハンガリーの作曲家クルターグの作品を歌う。
 「何と言うか 」
失語症で歌えなくなった女性歌手のために書かれたものだ。
オリジナルの詩はサミュエル・べケットのフランス語、クルターグはそれを
歌手のためにハンガリー語に訳して作曲した。
今回のコンサートでは高橋悠治さんが日本語に訳したテクストで演奏する。
テクストの意味はフランス語に、言葉のリズムやシラブルはハンガリー語にそって。

声を生業にする者にとって
発声できなくなる、言葉が出なくなるイメージほど恐怖を感じることはない。
今まで声がでなくなった経験といえば、あの春。
風邪の初期症状がありながら何時間も歌い、その後お酒を飲んでしまった21歳の。
翌朝起きた時には、ゴジラの効果音が再現できるのどになっていた。
その日から1週間、筆談で過ごした。

そんな経験しかないものが、どうやってこの曲を演奏できるのか。
起きている間はなにかしら声のこと、息のことを考えながら生活してきたが
この曲を演奏することが決まってからさらに、
身体が言葉や音を発信するとはどういうことなのか
つきつけられることになった。

常々、人前で演奏するのは裸になることと同じと思っているけれど
この作品を演奏するのはさらに「骨になる」感がある。
一音、一音を身を削るように演奏していた、初演の歌手の焦燥と痛みが
こちらの身体をレントゲンのように透かしてしまう。

*コンサートの詳細はダウランドアンドカンパニイのHPでどうぞ←

by hatano-mutsumi | 2011-02-07 01:04 | エッセイ
2011年 02月 02日

R 指定

歌うものを自分で訳すようになってからずいぶんたつが、きっかけは
既訳で使われていた人称だった。
演奏時のイメージと違うことがよくあり、違和感を感じてしまったのが理由。
訳者とこちらの年代の違いや、曲から受けるイメージの違いからくるもの
だったのだろう。
以来、新しい曲をコンサートにのせるたび
色んなところから助けをかりながら、うんうん言って訳している。

私 僕 わたし あたし 俺
   君 あなた そなた お前

1行の歌詞にも人称が頻出するのが英語だ。
プロの翻訳家の方が「会話ではまず人称をとってから訳す」と言っていた。
日本語の会話の中では使わずにすます事が多いから。

歌詞カードの対訳をやるようになると、音楽を再現する演奏と同じく
書かれたことにどこまで忠実にか?
という問題に直面する。
日本語としてきちんと説明すればするほど、本来意味するところから遠くなる。

一番難しいのは「艶もの」だ。
ルネサンスもバロックも
歌詞の内容の色っぽさ、猥雑さはとんでもなく、「R指定」のものが多い。

今回のツアーで歌うパーセルの有名な某曲もそう。
大人すぎる。
訳すのは苦労ひとしお!

パーセルのツアーは明日からとなりました。
艶もの話を聴きに 京都・横浜までいらしてください。
大人の街だー!

by hatano-mutsumi | 2011-02-02 11:21 | エッセイ
2011年 01月 07日

2011

明けましておめでとうございます
2011年が皆さまにとって素晴らしい年となりますように!

どんなお正月をお過ごしでしたか?
年頭ともなると
「今年はどんな生活になるかな」「こういう事を生活に取り入れてみようか」
など思いを馳せたりいたします。

生活の中の改めたい様々もさることながら、
お正月からパーセルの事を考えていました。

17世紀に人生を送ったパーセルはどういう生活をしていたのか??
その姿は現在周囲にいる「超多忙」の人々の日常と重なります。
演奏し、作曲・編曲し、学校で教え、プロジェクトを企画し、人の面倒を見る・・・etc。

パーセルは20歳頃からロンドンの主要な音楽ポストを歴任し始めました。
その働きぶりはすごかった。
王室の行事があれば作曲・演奏し、教会でオルガンを弾き、聖歌隊で歌い、
そしてロンドン市民の愛好する芝居のための音楽を作り、リハーサルし、公演し・・etc。
ポストを歴任していたということは、その才能の証明であるとともに
いっぱい働かないと食べていけないくらいに、王室その他からの払いが渋かった
という事実があるようです。
その頃のイギリスはいわゆる「戦後の復興期」に近く、
世の中は開放的になり勢いがあるけれど、国庫にお金はまったくない、という状況。
パーセルの残した手紙に「お願いですから支払いしてください!」と頼んでいるものがあります。

10代から働いて働いて、30代半ばまで一気に駆け抜けた男は、
では、仕事ばかりして 生活や人生を楽しむ暇はなかったか?

相当に楽しんでいたと感じます。
彼の曲を歌うたびにそう思う。
常に「現場」の活気を感じるからです。

「ソリチュード」ツアー・プログラムは全曲パーセルの歌です。
パーセルの生活感・生命力に会いに、どうぞいらしてください。

*コンサートの詳細は ダウランドアンドカンパニイのHPで←

by hatano-mutsumi | 2011-01-07 13:58 | エッセイ
2010年 11月 01日

ダンシャリdays

急に引っ越すことになり、荷物の整理に追われる「断捨離」の日々です。
「だんしゃりしてます」と人に言うと
「断シャリ?ご飯絶ちダイエットですか?」と、50%の確率でこの返し。

いえいえ、使わないのに持っている物をばんばん譲ったり捨てたりしてるんです
と答えつつ、
相当の覚悟で取り組んでも手放せない物の多さを思って、ため息が出る。
18年前に九州から出て来た時には、段ボール数個の引っ越しだったのに。
いつのまに?

物には色んな場面での記憶があるから? 
それで捨てられないのだろうか?
だが人を思い出す時に深く結びついているのはむしろ、香りと声の記憶だ。
今は珍しくなった「仁丹」の匂いがすると、必ず思い出される人がいる。
私の周囲で仁丹を愛用していたのはその方だけだったから。
匂いと一緒に笑い声、怒った声など一斉に響いてくる。
耳からでなく自分の身体の中から聞こえる声だ。

でも物からも声が聞こえてくる場合が多々あり。
整理の途中、ふと手にとってしまい作業中断。断整理じゃ。

by hatano-mutsumi | 2010-11-01 08:39 | エッセイ
2010年 10月 16日

詩人が読むと

詩人が自作を朗読する
よく行われていることだが、昨日発見したyoutubeでは
ボードレールが朗読していた。
写真を加工し、口や眉など顔の表情が動いて見えるように作成された
アニメーションで
シェイクスピア、ダン、ワイルドなどかなりの種類を見ることができる。
よく出来たものだと写真ではなく、ほとんど映像に見えるので
「この詩人のこんな映像があったとは知りませんでした!」
など勘違いするコメントもあったりして。

朗読の声は、名優たちの既録音だと思われるが、そうなると気になるのは
詩人の顔の骨格と声がマッチして感じられるかどうかだ。

日頃から カフェや電車で近くに座った人たちの「音声」をウオッチングしている。
骨格と(肉付きではないんです)声の響き、出し方、しゃべりのスピードなど
見た目との相関関係を観察するのだ。
人を見たとたんに自動的にやってしまうのだから、もはや趣味ではなく性癖だ。

このpoem animationという動画の中で「むむ!」とうなったのは
ウィリアム・ブレイクの肖像画の朗読だった。
肖像画は顔のアップではなく、上半身全体も描かれていて
カップリングされた声の軽さ、高さ、詩を読む速さなど、画面との相性がよく
詩人が読んでいるように自然に感じられる。
同じ詩人の肖像画でも作品によって違う声が使われているので
「これはぴったり」とか「ありえん!」など判定することになる。
延々とクリックしてしまう。

来週は王子ホールの「歌曲の変容vol.6」です。
プログラムで歌う詩の朗読をさがしていたら
当初の目的とは違うはまり方をしてしまいました・・・。

by hatano-mutsumi | 2010-10-16 10:06 | エッセイ
2010年 09月 15日

二重唱

デュエットの機会に恵まれることが多い。
先月は都留古楽祭での Dame.エマ・カークビーのリサイタルの最後に、
イタリア初期バロックを3曲、重唱させていただいた。

留学中のロンドンの図書館で初めて彼女の歌うパーセルを聴いた衝撃は忘れない。
あれほどクリアで軽やかな歌に触れたことはなかった。
自分の歌の「重さ」を考える時まるで、地球に帰ってきた宇宙飛行士の気分が
理解できるようだった。
  あんな風に軽く歌うには、二三度生まれ変わらなければ!
その絶望感も、「この歌をコピーしたら私の声は自滅する」という危機感もはっきり記憶している。

そして都留でのデュエット。
隣から響いてくる声はなんと弾力に満ちていたことか。
決して切れない美しい蜘蛛の糸のようでした。

by hatano-mutsumi | 2010-09-15 23:34 | エッセイ
2010年 08月 03日

うたかたの扉

泡のように消える___儚く、もの哀しい表現ですが、
体の中に消えていく泡は「至福」です。

スパークリングワインに、はまりつつある。つい飲んでしまう。
注がれるのを眺めている時からうれしい飲み物なんて、そうそうない。
知識もないし、味わいを的確に表現する言い方も知らないけれど、
一度飲んで印象に残ったものには共通点があることに気づいた。

味わう間、目の前で何枚かのドアが開いていくような感覚を覚えるのだ。
ドアの大きさ、その開く速度、後に広がる空間の明るさや広さは、その時々で違う。
重いドアがゆっくり開いたと思えば、その先に光る草原に出たり、
透明感のある薄いドアが次々に開くような気がしたり。
液体は体の中を落ちていくのに、こちらは
知らない空間を通り過ぎて行くような感覚になるから不思議だ。

一ヶ月もお休みしてしまったブログ。
この間も
声と言葉について新しい発見がたくさんありました。
決して泡ばかり飲んでいた訳ではありません。
夏のヒートに負けず、8月はさらさらと書いていこうと思います。

みなさまお体大切に!

by hatano-mutsumi | 2010-08-03 22:58 | エッセイ
2010年 06月 24日

訳詞百景

2008年から毎年春の1学期間だけ、ICU(国際基督教大学)で講師を務めている。
週に1回「ゴロチ」と呼ばれる3時限、約4時間を10人ほどの学生と過ごす。
科目は「音楽演奏研究1」という。
なんだかりっぱな響きだけど、実際は
こちらが演奏する、生徒が演奏する、話す、話させる、と何でもあり。
学生はプレゼンやディスカッションの訓練を受けていることもあって、
みんな話し始めると止まらない。
今年も面白かったなー。

ICUに演奏科はないが、この授業を受ける学生は楽器や歌の素養のある子が多く
演劇をやったり、ジャズライヴをやったり、合唱団やオケの指揮をやったりと
様々に活動している。

毎年授業のテーマは違うが、同じ「宿題」を課すことにしていて、
それはダウランドの「Flow my tears」を自分の言葉で訳すこと。
今年はバイリンガルのKくんが変わり種のヒット作を出してくれた。
以下は、彼の「日本語訳」と「ギャル訳」です。

 <Flow My Tears>
 泉より流れよ、我が涙
 永遠に追放され、私は嘆きに沈む
 夜の黒い鳥が、悲しい辱めを歌うところで
 私はひとりぼっちになっている

  ぁたUσ涙 か〃泉から流れるU
  ヵ〃千に追ぃ出されτサヶ〃→
  夜σ 黒ぃ鳥か〃まU〃悲Uぃ 歌っτっから
  まU〃□冫リ→

 失せよ、むなしい光よ もう輝くな
 夜の闇は、深すぎることはない
 絶望の内に、末期の運命を嘆く者には
 光はただ辱めを暴くだけなのだ
 
  まU〃光 厶ヵTK から光ωなぃτ〃
  夜とか 暗すき〃 なぃ感U〃τ〃
  ヵ〃千サヶ〃τ〃 、 〒冫ショ冫下か〃っちゃっτる子は
  ゃは〃ぃ ことは〃らされちゃぅた〃けた〃から

  ・・・・・・・中略・・・・・・・

 聞け、暗闇に住む影たちよ
 光を軽蔑するがよい
 幸いなるかな、幸いなるかな 地獄に在りて
 この世の侮蔑を、感じることなかれ
 
  マシ〃聞けっτ 、 ネヵ〃〒ィフ〃 なとこに住ωτ〃る影≠ャラ たち
  陽≠ャラ とか総ス儿→ Uτぃぃから
  なωかラッ≠→ なことに激マシなとこτ〃
  まゎりσネヵ〃〒ィフ〃 とか総ス儿→Uτ (訳:K・G)



読めませんでした。全く。
クラスの女子に「音読」してもらってやっと 「ほお〜」。
嵐山光三郎さんの「R」に衝撃を受けた世代の私。
ギャル語、恐るべし。

by hatano-mutsumi | 2010-06-24 14:42 | エッセイ