2011年 02月 07日

何と言うか

今月末に初めて、ハンガリーの作曲家クルターグの作品を歌う。
 「何と言うか 」
失語症で歌えなくなった女性歌手のために書かれたものだ。
オリジナルの詩はサミュエル・べケットのフランス語、クルターグはそれを
歌手のためにハンガリー語に訳して作曲した。
今回のコンサートでは高橋悠治さんが日本語に訳したテクストで演奏する。
テクストの意味はフランス語に、言葉のリズムやシラブルはハンガリー語にそって。

声を生業にする者にとって
発声できなくなる、言葉が出なくなるイメージほど恐怖を感じることはない。
今まで声がでなくなった経験といえば、あの春。
風邪の初期症状がありながら何時間も歌い、その後お酒を飲んでしまった21歳の。
翌朝起きた時には、ゴジラの効果音が再現できるのどになっていた。
その日から1週間、筆談で過ごした。

そんな経験しかないものが、どうやってこの曲を演奏できるのか。
起きている間はなにかしら声のこと、息のことを考えながら生活してきたが
この曲を演奏することが決まってからさらに、
身体が言葉や音を発信するとはどういうことなのか
つきつけられることになった。

常々、人前で演奏するのは裸になることと同じと思っているけれど
この作品を演奏するのはさらに「骨になる」感がある。
一音、一音を身を削るように演奏していた、初演の歌手の焦燥と痛みが
こちらの身体をレントゲンのように透かしてしまう。

*コンサートの詳細はダウランドアンドカンパニイのHPでどうぞ←

by hatano-mutsumi | 2011-02-07 01:04 | エッセイ


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